3月6日に開催された佐世保の艦これ同人イベント「西海ノ暁9」のレポを書いていきたいと思います。
以前の記事でも書いているとおり、今回のイベント参加は「みるこみ」の響ちゃん抱き枕カバー目当てでした。でもただ行って買って帰ってくるだけじゃつまらない!ということで前後3日間にわたって、佐世保の
「艦これ」ゆかりの地巡りと、前々から行きたかった長崎の
軍艦島上陸をこなして参りました。
長文になるかと思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
初日:3月5日(土)この日私は、朝の6時とかいうとんでもない時間に羽田空港にいました……
実は、サークルさんの方から目当ての抱き枕カバーのサンプル画像が出るのが遅く(というか、結局最後までちゃんとしたのは出なかった)、「飛行機の予約は画像が出てからにしようかなー」とか考えているうちに、朝のちょうど良い時間帯の便は全て埋まってしまったのです。
唯一残ってた比較的安めの便はこ ん な 早朝。
宿は直前でも無料キャンセルできるので比較的早めに押さえていたのですが、飛行機の方はキャンセル代かかってしまうのでケチってたら、かえって裏目に出てしまった…… (;´д`)
航空会社は今回初めての利用となるソラシドエア(旧スカイネットアジア航空)。
さすが九州拠点の航空会社らしく、ドリンクサービスで
長崎県産あごだしのスープが出てきたので、ありがたくいただきながら、目的地長崎に思いを馳せます。
あと飛行機の中から見える富士山がめっちゃ綺麗だった。
長崎空港から佐世保はバスで1時間半と結構かかるのですが、それでも出発が異常に早かったため、佐世保駅着の時点でまだ午前11時。
抱き枕erの間では一番乗りだったんじゃないかな?勝ったぜ。(何の争いだ)
13時から海上自衛隊基地の艦艇見学に参加する予定でしたが、予想以上に早く着いてしまったので、しばらく駅前を散策しました。
目に入るのは海上保安庁の艦艇に教会建築と、いかにも
港町!って感じです。
教会の方はあまりに立派過ぎて最初
ラブホかと思いましたけど。
明日の会場であるアルカス佐世保も下見してきました。
最初行った時には高校生っぽい人たちがたくさん集まって記念撮影してるので、卒業式かな?と思ったら、何と「
自衛隊入隊予定者激励会」でした。
本当に旧海軍の時代から続く「海軍の街」なんだなーと実感するとともに、この中から将来本物の「
提督」になる人が生まれてくるかもしれない……などと思ったり。
佐世保バーガー食べたりしているうちに13時になったので艦艇見学へ。
一人ひとり身分証明書の提示と住所氏名の記入をさせられるので少々時間はかかりましたが無事入場。
意外なことに中は撮影禁止では無かったので写真つきでお送りします。
まずは「多用途支援艦 あまくさ」
日替りで複数の艦を見ることが出来、うち1隻は乗船も可能という形のようですね。
本日乗船可能だったのがこの「あまくさ」。早速乗船してみます。
「羅針盤回すよ~!」
乗船時にもらえたパンフレットによれば、訓練用射撃標的の曳航、航行不能艦船の曳航や、車両の輸送や給水任務といった災害支援を行うための艦だそうで。
どうせだったら護衛艦に乗りたかった……という思いはありますが、(幸いにして)今のところ外国との本格的交戦を経験していない海自においては、ある意味一番活躍の機会の多い艦なのかもしれないですね。
続いて護衛艦すずつき。
すずつきの近くには、何故か「しまかぜ」……?
と思ったら、
対岸に護衛艦「
しまかぜ」を見ることができました。佐世保が定係港だったようです。
(後で調べたところ、上の写真左側の艦(172番)が「
しまかぜ」)
何気にこの日見ることができた
唯一の艦これ実装艦(と同じ名前の艦)でした。
護衛艦さわぎり。
すずつきの後ろ、ありあけ&あさゆき。
すずつきが邪魔で見えん(笑)
掃海艇ひらしま。
私は特にミリヲタという訳でもないのですが、やはりリアルの護衛艦は見た目だけでも迫力があって、前提知識がなくても楽しめます。
基本的に毎週土日に公開されており、団体以外は特に予約なしで見に行けますので、機会のある方は是非。
日によってはぜかましちゃんに乗船(意味深)できることもあるようです!
敷地内では海上自衛隊の庁舎も開放されており、フツーに観光スポットと化していました。
食堂で海軍カレー食べたかったのですが、残念ながら土曜は休み。
食堂フェニックス
「食堂だよ。その活躍ぶりから不死鳥の通り名もあるよ。(でも土曜は休む)」
代わり(?)に売店で謎の自衛隊限定緑茶買いました……
割と不味かったです(直球)
売店では海自グッズなども色々と買えます。
15時前には艦艇見学を切り上げ、
佐世保史料館(セイルタワー)へ。
こちらは館内撮影禁止なので、外観のみ。
7階まである大規模な史料館で、幕府海軍から現代海上自衛隊に至るまでの日本海軍史を一望できるという、とても見ごたえのある施設です。
艦これの時代(WW2)は5階当たりかな。艦船の模型や実物資料も充実していました。
その他にも、海上自衛隊の活動を特集した50分くらいの映像資料がシアターで上映されてたり、実際に遊べる
シミュレーションゲーム(といっても艦これみたいのじゃなく、操船シミュレータ、つまりフライトシムの船版)が設置されていたりと楽しめる要素が多いので、普通に見るにしても2時間くらいの時間を確保しておいた方が良いです。
私の場合は閉館1時間半前(15時半)に入館しましたが、かなり駆け足で見ることになってしまったので…(ノД`)
史料館の後はホテルへ。晩飯食べられるところを探してホテルの周りをぶらっとしてたらアニメイトがあったので覗いてみたりしつつ、この日は終わり。
2日目:3月6日(日)いよいよイベント本番の2日目。
昨日下見したアルカス佐世保に向かいます。
規定の来場時間9時を過ぎた当たりで、列形成開始。
カタログ未購入者の列と購入者の列を別に作る形式だったため、カタログを持っていない人はそれだけで出遅れてしまうことになってしまいましたが、私は事前購入していたため問題なし。
列形成はスタッフの近くにいる人から順番に肩を叩かれて並んでいく「肩たたき」方式。私の来場した9時時点で既に100人以上はいたように見えましたが、ポジショニングが良かったので比較的早い番号をゲット。
↑これ、0001番の人でも「おっそーい」なんでしょうね……w
3月の同人イベントといえば、昨年のコミスペが列待機中凍死しそうに寒かった覚えがあったので、そこそこの防寒対策をしていましたが、やはり長崎と幕張では気候が違い、雨が降っていたにもかかわらず暑いくらいでした。
あと列中は流石に「艦これ」の話をしている人が多く、熱気に溢れてましたね。私はゲーム本編は引退して2年以上経っているので聞いててもあまり分からず……w
そうこうしているうちに入場→初手みるこみ→抱き枕無事確保の流れ。
抱き枕カバーの出来は本当に素晴らしいの一言です……。「わざわざ佐世保まで来た甲斐があった」というのが抱き枕erの一致した感想なのではないでしょうか? 詳細は
レビュー記事を参照。
しかし持ち込み数は少なかったようで、
7分くらいで完売してしまったとのこと。かなりひやっとする戦いでしたね。
旅費&宿泊費使っておきながら、手に入りませんでしたでは哀しすぎるので、数だけは十分に持ってきて欲しいなあ……
みるこみが他の地方同人イベントで抱き枕カバーを頒布した時は、昼まで残っていたということなので、単に響のキャラ人気が凄かったのかもしれませんが。
正直私自身は地方遠征自体は全く苦にはならないのですが、(むしろ前から行きたかった近隣の聖地巡礼・舞台探訪等を消化できるのでラッキー、というレベル)流石にモノが手に入らず手ぶらで帰るのは精神的ダメージでかいので、数だけは十分用意して欲しい……
結果的には、9時の時点でいた人で初手みるこみの人には行き渡るくらいはあったのでしょうか……? それも行き渡らないレベルだったとすると、完全に運ゲーになってしまうので問題だと思うんですよねえ。
とまあ色々と思うことはありつつも、イベントの方はサクッと離脱。
軽食の後に、佐世保最後の巡礼スポット、
東山海軍墓地(東公園)へ。
ここは旧海軍の戦没者を祀るための墓地で、艦これに出てくる艦の戦没者慰霊碑も多く建てられています。
なお、読みは「とうやま」ではなく「ひがしやま」。
東山海軍墓地の最寄バス停は「福石小学校上」ですが、実際には徒歩3分ほど離れた「大宮町」のバス停を利用することをオススメします。大宮町の方はバスの本数がかなり多いのですが、福石小学校上の方は少なく、行きにこれで行くと帰りのバスが無くて焦ることになります(自分がそうだった)
園内地図。嫁艦がここにいるという提督さんには是非来てもらいたいところ。(クリックで拡大できます)
全てを写真に撮った訳ではありませんが……
ここに眠っている艦は、金剛・飛龍・時雨・白露・皐月・文月・長月etc……
こちらは瑞鳳ちゃん。その下に刻まれた一言が重い。
「おとうさん、お兄さん、愛しい吾子たちよ、永遠に安らかに。」桜のシーズンにはお花見の客でかなり混み合うようなのですが、この日は天気も悪く、まだ桜も開花していなかったことから静かに見れたのはラッキーでした。
この場所にいると、本当に日本という国はわずか70年前には戦争していたんだな……ということを実感します。
艦娘のモデルとなった艦に敬意を払うという意味でも、提督のみなさんには是非一度お参りして欲しいスポットです。
艦娘のエロい抱き枕カバー持ったままお参りしてる人が何言ってるんだという感はありますが。
その後は長距離バスで佐世保→長崎市内のホテルへと移動し、2日目終了。
普段TVってあまり見ないのですが旅先で暇なのでつけていたら、タイムリーにもEテレでペトルーシュカ(艦これのイースターエッグで使われた曲)やってましたね。
3日目:3月7日(月)イベントも、艦これ聖地巡礼も一通り終えたのに、何故長崎県内に残っているのか……?
その答えがこれ。
軍艦島は元々数年前(学生時代)から行ってみたい場所だったのです。
・「全島が廃墟の島」という中二マインドくすぐられるスポット
・貴志祐介先生の小説「
ダークゾーン」の聖地
・「
シンフォニック=レイン」の音楽を手がけた(故)
岡崎律子さんの出生地
と行ってみたい要素満載でしたので。
この機会を逃す訳にはいかない!と少し足を延ばしてみることにしました。
なお、名前は「軍艦島」ですが、これは単に
見た目が軍艦っぽいからという理由であり、以下特に艦これ要素はありません。悪しからず。(正式には「端島」という)
さて、軍艦島へ行くためには、長崎港から「軍艦島上陸ツアー」なるものに参加することになります。
現在4社がツアーを運営しており、会社によって解説などに特色があるようなのですが、予約した時点(1週間前)では各社ともほぼ満席に近づいており、1社しか選択の余地無し。
やっぱり世界遺産になったので人が増えているのかな。
基本的に予約せずに乗れることはあり得ないので、興味ある方は早めの予約をオススメします。
ツアー会社の事務所で、「
何かあっても自己責任だよ」的な誓約書にサインさせられた後、この船で軍艦島へ。
軍艦島へ向かう途中、たまたま長崎に停泊中のイージス艦「
こんごう」を見ることができました!
金剛デース!艦これ要素はありませんとか言った途端にこれだよ!(歓喜)
さて次はいよいよ軍艦島……の前に、船は一旦「高島」に停まります。
ここも軍艦島と同じく炭鉱島として栄えた島です(一応今でも有人島)。
石炭資料館と軍艦島100分の1モデルを使ったガイドさんの解説で軍艦島の歴史を知り、上陸への気持ちを高めます。
小説「ダークゾーン」中でも重要スポットだった
端島神社。その鳥居は既に倒壊しており、唯一神輿のみがこの石炭資料館に残っているとのこと。
30分ほどで高島を後にし、いよいよ軍艦島へ……!
上陸!気象条件により上陸できない日もかなりあるとのことで、この日は4日ぶりに上陸できたとのこと。本当に運が良かった。
上陸時間はかなり短い(30分ほど)なので、ガイドさんに連れられ駆け足気味に見て回ります。
といっても全島を見れる訳ではなく、見学通路として動けるスペースはかなり限られています。ちょっと残念。
(↓の地図の赤いのが見学通路)
ガイドさんいわく、炭鉱が稼動していた当時は
時代の最先端を行く島であったとのこと。
・人口密度世界一
・住宅や電気は全て炭鉱の運営会社から供給されるので、娯楽にお金を使うことができ、TV普及率日本一
・カジノやバー、ダンスホールといった娯楽施設も東京や大阪に先駆け完備
・幹部社員用の社宅「30号棟」は、日本で最初の鉄筋コンクリート造高層アパート
・毎日のように本土から物資が運び込まれ、メインストリートでは連日青空市場が開かれていた
そのような栄華も今は昔、このように朽ち果てた状態になっています……
この建物が
端島小中学校。
小説作中で重要シーンの舞台にもなったグラウンドは、残念ながら校舎の裏側、見学通路からは見れない場所でした。
炭鉱事務所。人がいるのは保守作業ですかね?
必死の保守作業にもかかわらず、常に波や海風に曝され続けるという厳しい気象条件なので、数十年後には完全に朽ち果てて何も無い島に戻ってしまうだろうとも言われているそうです。
真ん中の7階建てが、幹部社員用の高級社宅だった
30号棟。
ここの屋上は見晴らしが良く、島内一のデートスポットとなっていたとか(小説からの受け売り)
この「くの字」に曲がった建物は一般社員用の社宅。
波が防波堤を突破した時の「第二防波堤」としての役割もあるためこのような形になっており、幹部社宅を守るような形で建てられています。
プール。物資に溢れていた軍艦島ですが真水だけは貴重だったため、海水プールだったとか。
この島で唯一生きている施設は灯台だけです。
炭鉱閉山・無人島化により明かりが無くなった事から建てられたもの。
この建物の裏が坑口(海底炭坑への入り口)
湿度・温度ともに高く大変過酷な作業環境だったとか。
ボイラー室。もはや向こう側が見通せる状態に。
あっと言う間に上陸時間は終了。
さらば軍艦島……
最後に島の周りを一周してから長崎港へ帰港。
↓の写真のあたりが小中学校のグラウンド。多分。
こうやって見てみると、この廃墟の島が数十年前までは世界の最先端だったとはにわかに信じられませんね……まさに、栄枯盛衰。
ガイドさんいわく、端島炭鉱は当時三菱の経営していた炭鉱の中でも唯一黒字のまま閉山したとのことですが、それでも朽ち果ててしまうのは早いものです。
軍艦島を含む23の遺産群は、「鎖国状態にあった日本において、
非西洋地域で初めて、約50年間という短期間で飛躍的な経済的発展を成し遂げた産業遺産群は、その歴史上の重要な段階を物語る建築物のまとまった集合体の顕著な事例であること」を評価されて、「明治日本の産業革命遺産」として
世界遺産登録がなされました。
端島炭鉱から採れた石炭はほとんどが製鉄のために使われ、その鉄は軍艦はじめ軍事兵器のためにも多く使われたとのことです。
炭鉱は大日本帝国の近代化・経済発展・軍事大国化に不可欠なものでしたが、エネルギー革命により資源の主流が
石炭から石油に移行したことに伴い、最後はひっそりと消えていきました。
奇しくも前々日に立ち寄った佐世保史料館では、大日本帝国のことを「第一次世界大戦を経て、
欧州中心の世界秩序から、米国中心の世界秩序に移行しつつあることを理解できず、世界の潮流からズレた行動を取る様になった」と説明していました。
もう少しミクロレベルの話をすると、日本海軍が日本海海戦の成功体験に縛られすぎ、
大鑑巨砲主義から空母機動部隊へという戦術の大転換を受け入れられなかったのが太平洋戦争の敗北の一因とも言われていますね。
時流に乗って栄え、新しい時流に乗れずに滅んでいくという意味では、今に残る
軍艦島の姿は戦前日本の姿そのものを表しているようにも見えます。
艦これをきっかけに日本戦史に興味を持った提督の皆さんは、少し視野を広げて
日本産業史を学ぶという目的で長崎を訪れてみると、何故艦娘たちは無謀とも思える戦いに身を投じなければならなかったのか、大日本帝国という国そのものの盛衰の背景とあわせて、より理解が深まるのではないでしょうか。
……まあ、
エロい抱き枕カバー目的で長崎を訪れてる奴が言うなよという感はありますが。
ついにこれにて全旅程終了。
長崎港からは「
蒼の彼方のフォーリズム」の聖地
五島列島行きの船も出ているので、休みがもう数日あれば行ってみたかったのですが、流石にタイムオーバー。
ということで長い記事になりましたが、今回の遠征レポを終わらせていただきます。
次の遠征はどこになるかなあ……
PRIMIL先生が「次は舞鶴か大湊行きたい」みたいなことを呟いていたので、また何か凄く欲しいモノが出るようだったら行ってしまうかもしれません。
一方で艦これアニメに使われた舞台という意味での聖地は呉なので、そちらも機会があれば行ってみたくはあります。(アニメ自体の出来はちょっとアレではありましたが……)
この遠征(聖地巡礼)シリーズ、当ブログの中でも異質な記事なので、どこまで読んでくれている人がいるのか分かりませんが、もしいれば引き続き楽しみにしていただければと思います。
以上です!
Close↑
このパッケージで来るかは判りませんが、
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で通販も出来るみたいです。